スタッフ紹介

Rinato鍼灸整骨院 院長 石水孝幸

Rinato鍼灸整骨院 院長 石水孝幸

出身地
大阪府寝屋川市
趣味
映画鑑賞・読書・喫茶店めぐり・テニス・ボーリング
血液型
O型
資格
スポーツトレーナー 柔道整復師
好きな言葉
「一期一会」

施術家になるまで

幼少期から高校時代まで

子供の頃からよくケガをして泣いていました。

当時から落ち着きがなかったのか、ブランコに頭をぶつけたり

塀から落ちて死にかけたりと人と話す事や体を動かす事が

なにより好きな幼少時代でした。

 

そんな幼少期から高校生になり、テニスに没頭する毎日を送っていました。

しかしある時に腰に違和感が・・。

 

放っといてもその内に楽になるだろうと・・。

しかし痛みは引くどころか、どんどん痛みは増していきます。

あれこれはやばいかな、そんな風に思った時にはもう遅いものです。

 

病院でついた診断は「椎間板ヘルニア」テニスを全力でやる事は

もうできないそれが医師から告げられた事でした。

一生懸命努力をしていても健康をおろそかにする事がこんなに

一瞬で痛い目になる事を経験した高校時代でした。

 

そこから自分のように体を痛めてやりたい事を諦めないといけなくなった人を救いたいと中学生の時から興味のあったスポーツトレーナーに

なろうと勉強を始めました。

修業時代

無事にスポーツトレーナーの専門学校を卒業した後にもっと勉強をしたくなり

国家資格である柔道整復師の専門学校に入学。

それと同時に整骨院にて勤務をはじめました。

そこでの勤務は過酷な毎日です。

初めはマッサージの研修です、くる日もくる日も朝早くから終電まで練習をしていました。

これで自分のように体の痛みでやりたい事をできなくなった人を救う事ができると思って練習に明け暮れていました。

それから努力をした結果が患者さんを徐々に任してもらえるようになりました。

Yさんとの出会い

そんな時に自分が担当になったYさん。

すごく上品な白髪のおばあちゃん口癖は「いつもありがとうね。」

膝が悪く歩くのも杖をついて毎日歩いていました。
Yさんの夢は杖をつかなくても歩けるようになって以前のように旅行をしたい
との事でした。

 

ある程度結果もでていたので、
Yさんに自信をもって「杖を使わなくても大丈夫なようにがんばりましょう。」

と言ったものの・・。

 

2回目3回目一向に状態が良くならない。

別の人には結果がでていたのにYさんの状態は一向に変わらない。

そこから試行錯誤が始まりました。

 

全国でも有名な先生の所に言ってはYさんの症状を相談して

治療法を教えてもらいます。

大阪に帰ってきたら試してみる。

 

結果はなぜか思った程でない。

寝ないで必死に勉強をしました。

色々な勉強会に参加し技術を高める事に必死でした。

 

Yさんの「先生、治ったよありがとう」

この一言を聞く為に。

 

それでも中々結果のでない毎日、Yさんは苦しいはずなのに

僕の事を慰めてくれます。

「先生は頑張っているのに出来の悪い患者でごめんね。」

 

そんな気遣いのできるYさん、けど僕は逆にそれを聞くたびに苦しい

気持ちになってしまう。

 

いっその事このまま来なくなったら気が楽になるのになんて事を思ってしまう。

治療家として失格ですね。

そんな日々が続いて半年が過ぎた頃に院に一通の手紙が届きます。

手紙の主はもちろんYさんです。

そこには

「毎週先生の治療を受けて以前より体が軽くなっています。けど息子に大学病院で手術をするようにと強く薦められて病院での手術を受ける事にしました。先生の一生懸命さといつも楽しく会話をしてくれて本当に楽しかったです。
先生、本当にありがとう。」

 

確かこんな内容だったような気がします。

自分の不甲斐なさに涙が止まりませんでした。
もっと勉強してもっと練習してYさんを驚かせるような治療家になろうと

決心をした日でした。

患者さんへの覚悟

それからというもの一層勉強にはげみました。

それこそ日曜日も祝日もどんなに忙しくても全国の勉強会に参加をするものだから周囲の人は

 

「なんでそんなに技術を勉強するの?」とか

「もう充分でしょ。」など色々言われます。

 

技術バカと言われている事は知っていました。

友達と遊びに行く事も無かったのでどんどん友達も減りました。

それでもYさんを改善できるような治療家になるにはこれぐらいの努力は当たり前。

 

いやまたYさんと同じような結果にしたくは無いと思って頑張ってきました。

そんな生活を10年以上続けてやっと今に至ります。

今では全国の治療院の院長先生に技術を教えたり協会の理事を勤めたりと

業界でもそれなりに貢献できています。

 

患者さんは大阪だけではなく他府県からも多く来院頂けるようになりました。

毎週新幹線に乗って来院される方もいらっしゃいます。

それで満足かと言われればもちろん満足はしていません。

 

Rinato鍼灸整骨院では本当に体を良くして自分のやりたい事をしっかりできるように全力でサポートするという事をお約束しています。

1日でも早く改善する施術を提供する為に今も日本や海外の手技を研鑽しています。

 

全ては出会う人の「先生治ったよ、ありがとう」という一言を聞く為に全力でサポートをさせてもらいます。

もしあなたがしたい事があるのに体の痛みや不調によってできない事があるならRinato鍼灸整骨院に一度ご相談ください。

スペシャリスト施術スタッフ 柔道整復師 川上 健史郎

スペシャリスト施術スタッフ 柔道整復師 川上 健史郎

趣味
旅行 キャンプ サーフィン(初心者)
血液型
A型
資格
柔道整復師 自律神経整体師 コアコンディショニングトレーナー
好きなこと
マーボー丼 パスタ スポーツ 人の話を聞くこと

整体師になった理由

幼少期から高校時代

小学生からバスケットボールを始め、高校までの9年間ほぼ休み無く練習に励んできました。
中学生の時、先輩が全国大会でベスト16の成績を残し、それに続けと朝から晩まで過酷な練習の日々。
足を捻挫したり、膝の故障、指や肩の損傷をするたびに整骨院に通い治療してもらっていました。
多少の痛みでは休めないので、毎日ケアしながら練習できて本当に助かり、この職業に興味を持ち始めたことを覚えています。

 

中学2年の時、初めて腰が痛くなりいつものように治療に通いながらテーピングやコルセットをしつつ練習に励んでいましたが、
痛みが日に日に増してきて、動くことが本当に辛くなり先生に「腰が痛いので休ませて下さい」と初めて伝えました。
でも、「みんなどこかが痛くても頑張っているのに自分だけ休んでいいのか?」という罪悪感があり、その後は無理して練習を再開。
もちろん悪化し、とうとう片脚がシビレて歩けなくなりグラウンドに倒れてしまい、仲間に肩を担いでもらって病院に運ばれました。

「腰椎椎間板ヘルニアですね、手術も頭に入れておいてください」

頭が真っ白になりました。
「もうバスケできひんのちゃうんか…高校でのバスケは?椎間板ヘルニアって何やねん…」
ただただ不安と恐怖でいっぱいになり、痛み止めの注射も呆然としたまま打たれました。

 

そこから、週に3回病院で三ヶ月ほど治療を受けつづけましたが中々回復せず、高校では無理か…と諦めかけていましたが、
「大丈夫、何とかなる!」病院と整骨院の先生に明るく励まされ、諦めずに根気良く治療を受けていくうちにどんどんシビレも痛みも回復していき、
簡単な練習には参加できるようになってきました。そして、半年後には完治して痛みの不安なく練習できるまでに!

 

高校では3年間痛みを忘れて、全力で仲間とバスケができ近畿大会に出場する事ができました。今でも感謝しています。
この経験から将来自分と同じように痛みに困っている人を助ける仕事をしたい!と、治療家になる決意をしました。

修業時代

しかし、そんな決意をもって現場に出るものの、現実は違いました。
最初に入った職場では、マッサージをいかに上手くできるか?いかに患者さんを待たさず回せるか?
来る患者さんは毎日同じ人ばかりで、世間話をしに集まる場所みたいな風潮に違和感を感じていました。

 

毎日でんきをあてて、マッサージをして、温めて、マッサージ器にのってもらい、帰ってもらう…
「これでいいのかな?」「整骨院って、治療ってこれでいいのか?」そんな疑問をもち続けて日々過ごしていました。

転機

数年後、治療家の先輩(現院長)に相談・治療院の見学をお願いして会いに行きました。
「すべて全然違う…」
検査、治療、指導、対応…。自分が恥ずかしくなったと同時に、これが理想の院だと希望が湧いてきたことを今でも覚えています。

 

その後、先輩の勉強会に参加させてもらい、患者さんへの対応・治療をマネしていくと「ありがとう、先生のおかげやわ」と言われ遠方からも頼って来院してもらえる自分に変わっていきました。
素直に嬉しかったです。そこから、自分の治療家人生がハッキリと変わったことは間違いありません。

しばらく治療院を任されて日々治療に取り組んだ後に、院長に声をかけてもらい、Rinato鍼灸整骨院で働くことになりました。

 

今では沢山のスタッフにも囲まれ、全国の治療院からも推薦される「信頼され、治せる治療家チーム」が形成されてきていると実感しています。
うちに来て頂く患者さんから「ありがとう」と笑顔で喜んでもらえるよう、日々全員で成長していきたいと思います。

鍼灸師 松村 悠加

鍼灸師 松村 悠加

趣味 
読書・映画鑑賞・犬と戯れる
血液型
A型
資格
鍼灸師
好きな言葉
笑う門には福来る

鍼灸師になった理由

きっかけ

元々足が悪い祖母にマッサージをして、「ありがとう、楽になったよ」という言葉が嬉しくて、人の役に立つ仕事に就きたい、ありがとう。と言われるような職業に就きたいと思うようになりました。

無限大の可能性を秘めている治療法とのことで、「これだ!」と思い鍼灸の学校に3年間通い、鍼灸師の免許を取得。
これで人の役に立てる!と思っていたのですが…。
祖母の先天性股関節症、変形性膝関節症、祖父のガン、父のうつ病など…自分の技術では到底治せない病気を目の当たりにして、自分の無力さに絶望しました。
それらの病気は鍼灸の学校で学んだだけでは、まして、経験もない鍼灸師1年目の私には治せない!と自信をなくしてしまいました。

転機

しかし、そのとき出会ったのが今の技術でした。
股関節や膝の症状などはもちろん、うつ病やガンなどの治せる技術とのことでした。
はじめは半信半疑でしたが、重い症状で来られた患者さんも暫くたつと「体が楽になって毎日が楽しくなった」「前は腰が痛くて諦めていたスポーツもできるようになった」と笑顔を見せてくれるようになります。
その光景をみて、「あ、私が目指していたのはこれだったんだ。」と思いました。
祖母のように足が痛くて旅行などはもちろん、近くのスーパーにも思うようにいけない人、
祖父のようにガンを患っている人、父のようにうつ病になって思うように仕事ができない・何をしても楽しくないと思ってしまう人…。そんな人たちを救いたいという思いで、今は内臓の治療や自律神経の治療法を学び、鍼灸師になって1年目のときに諦めていた症状でも自信を持って「大丈夫です。良くなります。」と言えるようになってきました。

今、お体について、心について悩まれている沢山の方に健康になってもらって、沢山の人に毎日幸せに暮らしてほしいと願っています。そしてそれのお手伝いができるように日々精進していきたいと思っています。

柔道整復師 梅野 早芳

柔道整復師 梅野 早芳

趣味
格闘技観戦(立ち技) 食べる事が大好き!
血液型
O型
資格
柔道整復士
好きな言葉
Love&Peace

柔道整復師になるまで

幼少期から中学時代

1歳の頃から水泳をしていた私は、小学生の頃から頭痛・肩こり・腰痛があり、中でも腰痛には一番悩まされ特にひどかったのは中学2年生の時でした。
寝ても覚めても腰が痛くて本当に辛かった事を今でもハッキリ覚えています。
当時はとにかく毎日腰が痛い、腰が痛いと母に言っていたので、心配した母が病院に連れてってくれました。
MRIの結果、診断は腰椎ヘルニアでした。
だからと言って病院は何をしてくれる訳でもなく、薬(消炎・鎮痛剤)を飲んで安静にしていれば良くなるよ!と医者に言われ、薬と沢山の湿布をもらいました。
もちろん良くなるはずもなく、、、
水泳の練習は毎日あるし、腰が痛いから練習を休むなんてことはできなかったので、腰痛を我慢しながら練習していました。

 

腰痛は更に悪くなるばかりで、当時14歳だった私は整骨院の存在は知っていましたが、治療に行った事が無かったのもあり、なんとなく入り辛くて痛いのを我慢するしかないのかなぁ・・・と思っていた時に、近所にいた整骨院で働いている知人に相談したら「俺が治したるわ!」と言って治療してくれました。
治療を受ける前は立ったまま頭を少し下げるだけでも本当に腰が痛く、何をするにも不自由だった身体が治療後は立ったままお辞儀ができ、さらに前屈で床に手がつく程、腰を曲げられるようになっていました!
道具を一切使わずに「手」のみで治療してくれただけなのに何で!?と、すごく驚いたのと同時に本当に感動したのです!!
その時に整骨院はこういう風に治療してくれる場所だという事を知り、柔道整復師という資格がある事も知りました。
絶対私も柔道整復師になって、『私と同じように痛みで悩んでいる人を救いたい!私が味わったこの驚きと、感動を私も誰かに味わってもらいたい!!』と思うようになり柔道整復師になろうと決めました!

高校時代から修業時代へ

その後私は、引越しをしてしまい知人の治療を受けられなくなりました。
しばらくするとまた腰が痛くなり・・・それから整骨院巡りが始まりました。
家の近くの整骨院やカイロプラクティック、家から離れていてもTVに出ている有名な先生の所など色々な治療院に通いましたが、ほとんどの院は腰が痛いと言うと腰をマッサージし、腰に電気をあてておしまい。
その時は一時的に楽になる事もあれば全然良くならない時、さらには余計に痛くなって動けなくなる事もありました。
痛みから解放されないまま私は高校生になり、腰痛だけではなく肩の痛みや股関節の痛みなど、整骨院に通っているにも関わらず症状は増えていくばかりでした。
何軒も治療院を巡るのはお金も時間もいるし、もう痛みとはうまく付き合っていくしか無いのかな・・・と、整骨院に通うのを辞めました。
自分の痛みを治す事は諦めましたが、人の痛みを治したいと言う気持ちは消えず、私は柔道整復師の資格を取得しました。
しかし、色んな整骨院に通い痛みが取れなかったのに、整骨院で働いて果たして人の痛みを取り除く事が出来るようになるのだろうか…という思いはありましたが、初めて整骨院で就職が決まり、これから自分も技術を学び痛みで苦しんでいる人を救えるとワクワクしていましたが、予想は的中。
教えてもらえる事はマッサージでした。
時にはテーピングや包帯も教えてもらいましたが、結局実戦で使うのはマッサージのみ。
私が味わった驚きと感動を、私も誰かに味わってもらいたい!!と思い柔道整復師になったのに何か違うなぁ…と日々思うようになり、その場では凄く楽になったよ!と言ってもらえても2、3日~1週間もすればその患者さんはまたしんどくなって戻ってくる。それの繰り返し。
これじゃ痛みに悩んでる自分と同じだし意味がないなと思うようになり退職。
その後、何軒か違う整骨院で働きましたが、やっぱり全てマッサージのみで、患者さんの症状を取り除く事も出来なければ、驚きと感動を与える事もできませんでした。

転機

出産のため1度仕事を辞めてしまい、そろそろ仕事復帰したいなぁと思った時に今度こそは今までとは違う、しっかり『治療』をする院で働きたい!と思い今の職場に巡り会いました。
初めてRinatoの治療を受けた時、14歳の時に感じたあの驚きと感動と全く同じ気持ちになりました!!
マッサージではなく、私がやりたかった機械などをつかわない「手」のみでの『治療』
この職場なら一人でも多くの方に驚きと感動を与える事が出来る!と思いました。
もちろん技術の習得は簡単では無いし、院内研修や院長・先輩方からの指導を受け、実戦の前に厳しいテストもあるので、みんな一生懸命勉強して練習して日々努力しています。
スタッフ一人一人が熱い思いを持って働いているこの職場で働けて、すごく充実しています。
今では私自身が長年悩んでいた痛みも、技術向上のためスタッフ同士で練習し合っている内に無くなっていて、過去に受けた治療に費やした時間とお金、痛みからの解放を諦め、痛みを我慢しながら過ごしていた日々は、なんだったのだろうと思います。
長年痛みに悩まされてきた私が実際よくなったからこそ、Rinatoで治療を受ければ必ず良くなります!!と自信を持って言えます。
諦めかけているその痛み、諦めずに一緒に治しましょう!!

鍼灸師 宮武 伊都

鍼灸師 宮武 伊都

趣味
読書 映画鑑賞
血液型
B型
資格
鍼灸師 アロマテラピー検定1級
好きなこと
色んなジャンルの小説や漫画を読むこと

鍼灸師になるまで

幼少期から学生時代

幼い頃から漠然とマッサージする人になりたいと思っていました。親に肩たたきをしてありがとうと言ってもらうことが好きだったからかもしれません。
小学生のころの将来の夢という作文でもマッサージ師になる!と、書いていました。

 

そのまま中学高校と進学していくにつれ、人が喜んでくれて、ありがとうと言ってもらえる鍼灸師になりたいと思うようになり、鍼灸師の専門学校に入学しました。

挫折

私は19歳になるまで1度も肩こりや腰痛になったことがなかったのですが、リラクゼーションサロンでアルバイトを始めてから身体の怠さを感じるようになりました。サロンがあまりにも人手不足で朝から夕方まで学校に行き、出来るだけ早くサロンに行き帰宅するのは夜の2時過ぎという生活を続けていたので毎日くたくたでした。

そんなある日の帰り道雨上がりのコンクリートのせいで原付のタイヤが滑ってこけてしまい手首を痛めてしまいました。病院に行くと全治3ヶ月ですと言われました。

 

ただでさえ人がいないのにどうしよう…と思いながら店長に話をしました。すると、「ほんまに痛いん?右手使われへんくてもマッサージできるよな?」と言われ、結局痛さを我慢しながら働きましたが、大丈夫?の一言もなく嘘をついてるのでは?と疑われたことでここで働く意味ってなんなんやろうと思い辞める決意をしました。

 

辞めさせてもらった時は、右手首を庇って左手ばっかり使っていたので身体が相当歪んでいて、毎日しんどかったので整骨院に行きました。整骨院に行くのは初めてでしたが、その時の整骨院の先生は症状についてだけではなく辛かった話も親身に聞いてくださり、身体のしんどさと一緒に心のしんどさも軽くしてくれました。
しかし、身体は軽くなっても心の傷が深かったのか、他人を信じるということができなくなっていました。

転機

そんなときに救われたのは私が尊敬している先生が言ってくれた一言でした。
「私も人間やから助けて欲しいときがある。宮武さんが困ってたら助けるから私が困ってたら助けてな!」

この言葉を聞いて、こんなすごい先生でも私が助けになることってあるのかな?ああそうやった、私は人を助けることができる人になりたかったんや。と、忘れかけていた自分の気持ちを思い出しました。

 

それからは、暗い気持ちで過ごしてももったいない!と思うようになり、必死で勉強し鍼灸師の国家試験を無事合格して今の職場で働かせてもらっています。
試験があったり大変ですが、そのための研修もちゃんとあり、やりがいを感じています。

鍼灸師になるという目標は叶えました。なのでこれからは一人でも多くの患者さんに治ったよ!ありがとう!と喜んでもらえるように日々精進していきます。

 

整体師 荒牧 勉

整体師 荒牧 勉

趣味
読書(マンガ中心ですが活字読むのも好き)
血液型
A型
資格
整体師
好きなスポーツ
身体を動かすなら野球とサッカー以外はだいたい好き(広く浅く)

幼少期から高校時代

小さい時から体の事に興味があり、小学校や中学校の生物の時間はとても楽しみでした。
自分の体の事を知るのはとても楽しく、生き生きと勉強していた学生時代でした。
しかし、そこではまだ自分の道を見つけられず、なんとなく勉強しながら、なんとなく進学していました。
選んだ高校も自分で選択してなく、ただ「ここがいいよ」と知り合いに教えてもらった高校を受験し、受かったから通っていた、という状態で日々を過ごしていました。

 

高校に入学し、部活もバイトもして学生生活を過ごしていましたが、高校1年の2学期を過ぎたあたりで父親がリストラにあい、家庭の生活が一気に急変しました。
私は部活を辞め、学費以外で自分が使用する費用は全て自分で働いてやりくりし、両親がなんとか頑張っているところの負担にならないようにしていました。
しかしそんな生活もとうとう限界がやってきました。
私の高校の学費が回らない状態まで、家計が追い込まれたのです。
母から「まだ学校行きたい?」と遠慮がちに聞かれたとき、私は迷わず学校を中退して働くことを決心しました。

社会人時代

それからはひたすら働き続けて数年間、自分の生活を維持して平穏な毎日をただ過ごしていたのです。
裕福でもなく余裕があるわけでもなかったのですが、特に不便もなく過ごせるということが幸せだと感じていました。
しかし日常をただ過ごせるだけでも十分な事だとは思いますが、何か自分の心の中は満たされないままでした。
「自分はこのままで本当にいいのだろうか」
「仕事も流されるままに続けていていいのだろうか」
表立っては出しませんでしたが、常にそういう思いが心の中にありました。

転機

そうやって日々を過ごすうち、疲労もストレスも溜まっていき、体が悲鳴をあげはじめました。
そんな体を労わるように、整骨院やマッサージに通い始めます。
施術を受けていると、どこが悪いか説明してくれたり、体のほぐし方を教えてくれて、それを自分で覚えて後輩や家族がつらいと言っていたら、見よう見まねでほぐしていました。
そんな時、ほぐした相手から「ありがとう!」「痛くなくなりました!」という言葉をもらったとき、とても嬉しい気持ちになりました。

 

そこで改めて気づいたのです。
体に興味があったころ、勉強するのが楽しかった時。
体が楽になった人から感謝の言葉をもらった時。
ああ、自分はこれがしたい!もっとちゃんと勉強して、たくさんの人に喜んでもらいたい!
そう思ったときに、自分のこれからの道を見つめ、歩き出す決断をしてこの世界に飛び込みました。

 

今まで全く違う職種だったものの、そこで培ってきた経験は必ず自分の役に立つと思っています。
毎日を辛い思いをしながら耐えて過ごすより、体が楽になると心も楽になり、笑顔も増えます。
皆さんがそんな毎日を過ごせるように、全力でサポートさせて頂きたいと思います。